薩摩の人斬り軍人【中村半次郎】幕末から明治を駆け抜けた男の生き様が凄かった!「桐野利秋」
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- Опубликовано: 6 сен 2024
- 今回は幕末で恐れられた薩摩の剣豪中村半次郎(桐野利秋)を解説です!
凄い人物ですよね!
河上彦斎
• るろうに剣心のモデル 最強の人斬り!?【河上...
岡田以蔵
• 幕末最恐の暗殺者【岡田以蔵の生涯】京を血で染...
参考資料
薩摩の密偵桐野利明「人斬り半次郎の真実」著 桐野作人
幕末維新人物大辞典 著矢部健太郎
桐野利秋のすべて 新人物往来社
桐野利秋日記
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#剣豪シリーズ #幕末人物解説 #隠れた偉人伝説 #日本史
今回は人斬り中村半次郎を紹介です!やっぱり薩摩武士って狂気が出てて男心を刺激しますよね!
脳筋なイメージですが実は政治もかなり有能なのが薩摩です!
歴代総理大臣、閣僚を多数輩出してますので脳筋ではないですよ(笑)
文武両道
西南戦争が、一連の武士反乱の最初だったら新政府軍勝てたか分からなかったと思う。
薩軍が勝ってたら、今の日本の繁栄、あったかなあ🤔
13:51からの写真中心にいる白ヒゲは中村半次郎なのですか?
新撰組が恐れた男
幕末の辞世の句もかっこいい!
ピロ氏の日本史の解説めっちゃ好き
新撰組に唯一、隊士に敵前逃亡とは看做さないから戦うな、無駄死にするだけだからと言わしめた男
有名な話しですね。
近藤勇が「薩摩の中村半次郎だけは手を出すな」と隊士に注意してたんですよね
やはり来ましたか!中村半次郎氏!
池波正太郎の「人斬り半次郎」は何度も読み返しました!
辛い時、苦しい時に「今に見ちょれよ!」
の精神に助けられました!
中村半次郎は私のご先祖様です
ご先祖様の紹介をRUclipsを通して世界中の皆様にお伝えしていただきありがとうございます
鹿児島人の半次郎ファン研究家です(笑)
概ね合っていると思われるが、石見のくだりについて、
半次郎の生家は鹿児島市内中心部から少し?離れたとこにあります。そこから街にケンカしに下りてきて毎日、一人残らず片っ端からやっつけます。
それに業を煮やした石見属する上之園町グループが集団で、半次郎の地元まで仕返しに来ます。
それを、論難?し、そこから仲良くなり、認めあい、親交が始まり、やがて西郷さん達に出会うと言ったとこでしょうか。
そして女によくモテたという話もあり、明るくて、爽やかで優しくて剣の達人。モテないはずがない。
暗殺の件は私はそんなにやっていないのではないか?と思ってます。なんとなく。
今の北海道の基礎を作ってくれた薩摩藩士。
色々な裏話はあるけれどやっぱりこうして日本国としていられるのは感謝です。
小学生のころ ‘私たちの札幌、 私たちの北海道、と言う本で授業を行っていた世代デス。
今の札幌の街を作ったのは島義勇ですね
信仰の自由を許したっての何気にめちゃくちゃ凄いのでは?
西郷さんが聖書を学んでいたし1説にはクリスチャンだったともいうしね。そーいう影響もあるとは思う
九州は、良くも悪くも異国との入り口でしたかね、バテレンやら島原と
地元の英雄西郷さんの片腕的な存在です。取り上げてくれてありがとうございます。
日本の英雄ですね。西郷隆盛はえらい!!!!
桐乃さんの最期には、額に被弾しながらも立ち向かおうとして戦死したとの説もあります。
この死体を調べた際には、フランスの香水がふってあり(真偽不明)死を覚悟していたとも戦場でもハイカラな一面を残していたとも言われています。
戦国期の武将は鎧に香を焚きしめたという故事にならって、半次郎も軍服に香水をふったとか。
数日前にお墓に行ったばかりです。
薩摩を取り上げてもらえて嬉しいです。
村田新八もすこ
村田新八は西南戦争時にアコーディオン持ってたり、洋装で戦ってたエピソードがいい。
あと、桂久武も好き
大久保利通は村田新八の戦死にショックを隠せなかったらしいですね…
@@user-oo9vg2vk3q 村田新八は大久保利通と共に欧米視察に行き大久保は自分の政治後継者と認めて居て、西郷隆盛が参議を辞職して鹿児島に帰った時に村田新八が西郷隆盛を慕って政府を辞職して鹿児島に帰った事にショックを受けたそうで、もし村田新八が政府に残って居たら大久保の後継者として内務卿に君臨して黒田清隆より先に内閣総理大臣に成れる可能性が有った。
「これなら日本も世界と戦える」
格好いい最後の言葉
柴五郎の回を楽しみにしています。地元に柴五郎住居跡という場所があり、どんな人だったんだろうと思って調べた歴史オタクです。
4大人斬りも残り1人ですね…田中新兵衛どのように解説してくれるのか楽しみ!よろしくお願いします!
最近動画の雰囲気チャラかったのに今日の喋りは気が入ってる様に見えたな 良き
桐野利秋が征韓論で西郷隆盛追いかけて鹿児島行く時
桐野利秋は東京に大邸宅(今の上野にある旧岩崎邸)と陸軍小将の地位を何のためらいもなく捨てて西郷隆盛に同行したとか
動画に出てくる真っ直ぐで純粋な人柄がわかるエピソードだと思う。
普通に考えて将来有望で大邸宅住んでる人間がそれ捨てて田舎帰るとか中々ない話だし。
1990年~大河ドラマ「翔ぶが如く」は自分にとって、幕末の薩摩藩を知る上での最高傑作。当時高校生だった自分は、舞台が地元であるにも関わらずそこまで興味はなかった。寧ろ、大学で上京、社会人になって齢を取るにつれ、薩摩人が当時の新生日本の国造りにどれだけ深く関わり貢献したのか知るようになって、遅まきながら色んな本や映画を観た。
今から十数年ほど前、ツタヤでこの「翔ぶが如く」DVDを借りまくって、一か月位かけて観た。俳優陣の素晴らしさも相まって(今でいう大御所・ベテランの面々が若く格好良く、突き抜けていて、本当に輝いてた)、震えるほど感動したのを今でも覚えている。あの素晴らしい志士たちと同じ土地に育ったことを心から誇らしく思った。
確か桐野利秋は、杉本哲太が演じていた。格好良かったな。
今の若い方々にも是非見てもらいたいお勧めの作品。
こんばんは、鹿児島生まれのちゃんねるフィリアです。
薩摩の話をして下さりありがとうございます。この戦争では1万3000人がなくなっています。
その中で、鹿児島市の南州墓地には、西南戦争でなくなった2023名もの将兵が眠っています。
幕末・維新期の軍人で最後まで西郷隆盛を支えた桐野利秋(中村半次郎)の墓は、西郷隆盛の墓と並んで、今でも西郷さん支えておられますよ。
次のお話も、視聴させていただきます。
故郷が鹿児島なのですが、薩摩武士を醜悪なものとして書く歴史小説や漫画が多いなあと思うことが多々あり、尚且会津に行った時に鹿児島出身と言った途端に頭ごなしに土下座を強要されたことがあり(鹿児島と言っても島出身なので、歴史でみたら薩摩には黒糖地獄を味わされた側です)、大河ドラマや歴史チャンネルをみるのは好きでもあまり薩摩のものを見る機会はありませんでした。今回は色んな角度から中村半次郎を知れて、苦しい思いをせずに歴史を楽しめて嬉しいです。善悪では無く頭にすっと情報として知識が入ってきました。ありがとうございます。
半次郎どんの、会津城明け渡しの儀にて「涙と寛容な処置」に反する愚行を押し付けるそげな無礼な愚かもんは、自顕の太刀で脳天からカチ割れば良か。
薩摩が日本の近代化に一番貢献した
と思う。
鹿児島県の人たちは先人の方々を
誇りに持ってほしいです。
歴史なのでたくさんの血が流され
悲しいことが起きてしまったけれど
それは日本だけでなく万国共通。
仕方ないで片付けてはいけないのは
十分に理解してますが
歴史のターニングポイント、
大変革のときは起きてしまう
それが過去の歴史なんだと思います。
会津の人達が賊軍の汚名と共に塗炭の苦しみを味わったことは、悲劇であり同情もしますしその怨みの深さも仕方ないと思いますが、今の会津の人達がその苦しみを経験したわけでもないのに、出身地だけで関係ない人に理不尽な要求を強いるのは、差別とかわらない。
剣術の腕のみ凄いのかと思ってましたが軍人としても人としても秀でた方だったんですね。勉強になりました。
中村半次郎は武力パラメーター極振りのバーサーカーかな?と思ってたのでこの解説でイメージが180度変わりました
伊達に陸軍少将の職に就いていた訳では無いですね。
山城屋事件が起こった際に真っ先に山縣有朋を批判したのも彼です。正義感が強く、義理堅い人だったと言えます。
幕末から明治初期の歴史好きにとっては、かいつまみ過ぎで物足りない感じは否めないけど、動画をきっかけに歴史の楽しさを知ってもらえる様にとの意図は素晴らしいです。
ピロスケの解説はホント熱くてこっちまでワクワクしてくる
人斬りシリーズは信念持っている人とかおもしろい人で好き
良かったです。最後ちょっと泣きそうになりました。
池波正太郎 人斬り半次郎 幕末編 賊将編 が本当に面白かった。
でもあれ結構、つか相当脚色されてるのよね…
@@user-tq6gx2gf4l ま、そこは小説なので、分かったうえで楽しめればね、という感じですね。
同じく池波の「その男」も別視点から半次郎が描かれていて、面白い。
桐野利秋のエピソードで戊辰戦争の時に会津攻めで会津藩が降伏して会津藩主の降伏の儀式を対応したのが桐野利秋で桐野は見事な対応をしたので官軍の同僚からは「何故、見事な対応を何処で覚えたのか?」と問われて桐野は「以前、忠臣蔵の芝居で赤穂城受け渡しの場面を見てそれを真似した」と答えて周りは絶句したそうな。
すみません、何故周りは絶句したのですか?
@@user-fu2ot5sm2r 中村半次郎は人斬り半次郎と言われて無教養の乱暴者と思われて居て。礼節が有る儀式を無事にこなしたから。
二人の人斬りを生み出す薩摩藩は強すぎる
鎌倉時代から化け物揃いですからね。
人斬り自体は大したことないでしょ
薬丸自顕流が実践向きだったと言うのはあると思う。「きえーーー!」と気合いの言葉と共に身を捨てて一刀に全てをかける。
「実践とはこうきたらこう捌いてこう斬る。何て考える暇もなくただ我武者羅に斬るのみ!」と斉藤一も言ってたくらいなので単純で誰もができ小手先じゃないのが良かったのかも
しかも大の大人が「きえーーー!」言いながらすごい決死の形相で向かってきてみ?怖いだろ?
@@mao0301 大の大人がキェェェェって発声しながら刀上段で構えて向かってきたら逃げたくなるわw
@@user-ov3ol3cm2i 大したことなくないぞ。
人を斬るには何処を斬ればいいのかとか
刃こぼれしにくいのかとか人間って生き物の構造を理解した上で相手の行動を予測して斬る判断力とスピードがいるから
普通の戦争で剣振り回して戦うのよりも
難しいで。
ただ斬ればいいなら誰でも出来るけど
人目につかずに返り血を出さない斬り方を即座にしなきゃいけないから大したことあるんだぞ。
維新方の土方歳三のイメージでしたね
諜報をやっていたとは初見です
斎藤一に近いことをやっていたと
桐野利秋って名前もおしゃれでカッコイイ
好き度がさらに上がりました
待ってました!人斬り半次郎‼
高校時代、池波正太郎の『人斬り半次郎』読みました。
忘れている部分もありましたが、やはり西南戦争の最後は感動的でした。
明治政府でも目覚ましい活躍をしていたとはすごいですね。
でもやっぱりその男気の感じられる武士らしいその信念と生き様がなによりカッコいいですね(≧∇≦)
ますます好きになりました^^
この時代の下級武士から時代の中心に躍り出た人達は一面だけでは語りきれない魅力にあふれてますね✨
カッコ良すぎるだろ!まさに侍!戦闘民族 薩摩隼人!諜報活動は知りませんでした。すごい貢献度。薩摩って日本の歴史において影の主役ってくらい足跡残してますよね。そして、とことんトラブルの元凶である朝鮮。
戦国時代に島津義弘と薩摩兵vs明−朝鮮
連合大軍団相手に大勝利してますから🤗
配信、感謝します。
1:03 からの静止画の半次郎の刀のコジリってヤバくないですか?
さて半次郎、西郷さんのお稚児さんだったからって噂もありますが、なによりも彼の美意識の清さですよね。
西郷さんもそこに惚れて・・・って、あれ? ループしてしまいましたw
熱があるので話しが入ってきますね
素晴らしい解説ありがとうございました
西南戦争は薩摩の初戦の快進撃から抜刀隊結成の流れ、熊本城の堅牢さなんかの古今が入り乱れて因果が絡まる様子が本当に堪らんです
徳川幕府を守るはずだった熊本城が明治政府を守ったのは歴史の皮肉
@@seattleslew2332
西郷隆盛は戦いの末期に『私は新政府軍に負けたのではなく、加藤清正公(熊本城)の前に敗れたのだ。』と残していたらしいですね。
加藤清正と児玉源太郎の時代を超越したタッグ。川上操六もだったか
元々熊本藩自体が薩摩藩の抑えの役割を担っていましたし、同じ倒幕派でも熊本藩士は薩摩藩士との間に線を引いて、一歩下がるような間でしたから。
俺の友達に家系図?みたいな奴見せてもらったとき先祖がこの人だったことが発覚
友達の先祖が、中村半次郎だったの?!
そうみたい なんかすごない?
人斬りの血を受け継いでるってはしゃいでた
結婚せず独身で亡くなってるので
直系ではないですね
学校の先生も頑張ってこのウプ主みたいに楽しくわかりやすやい授業してくれ!
大河ドラマ「翔ぶが如く」 では 杉本哲太氏が、中村半次郎→桐野利秋 を演じられてましたね。
桐野は飛ぶがごとくでもせごどんでも、剣の腕のすさまじい危険人物みたいな扱いだった
桐野利秋の名前のほうが有名なイメージありますね。それにしてもかっこいい
そして田中新兵衛楽しみにしてます!
今回も面白かったです。岡田以蔵と首位打者を争った、田中新兵衛。出来るだけ早いアップを期待しています。
漢、桐野。かっこいいぜ。
この時代の人の愛国心てほんと凄まじいよな
愛国心で片づけるよりも、もっと掘り下げると、この時代の人間は死が近くにあったというのもあると思います。
人はいつか死ぬ、そのいつかが非常に速かった
中村半次郎好きなんです。解説して下さりありがとうございます。
中学の時の社会の先生が桐野利秋の話をしてくれた事で桐野利秋の歴史に興味を持つ様になりました。
主君西郷隆盛と最後まで運命を共にし、死んで行った姿には泣けます。
勝海舟「半次郎は俊才!」
以蔵「ガタッ!」
彦斎「…スン…」
西郷と中村は「道のもの」として優秀でその分析の高度さから薩長同盟がなり、倒幕のちに戊辰戦役が展開して薩摩はその中心になってくんだけど。
古来藩論は必ずしも倒幕ではなく(特に吉之助が主君と仰いだ成彬は公武合体派だし)自身二人もかなりの士道に傾注した人格ではあったから、裏を知る二人なら尚のこと様々な「裏切り」を事実として知っていただろうしその事は必ずしも好感が無かったと思う。将軍家(此処はケイキではなく天璋院が庇護する宗家)に殉じ、主君に忠誠をつくした敵方には少なからず複雑な心裡を抱えていたとも言われるな。
西南戦争は西郷が死場所を求めた戦争とも言われるが、そうだとしたら中村もまた同じだったのかもな。
大変興味深く拝見させて頂きました。
毎回楽しみにしております。
諜報もできる。暗殺もできる。兵士もやれる。士官もやれる。政治もできる。
なにこのハイスペック侍。
ラストサムライって感じで好き!
とても、分かりやすく、楽しかったです。 武市半平太もぜひ、お願いしたいです。
半次郎の印象が一気に変わったな
幕末・剣士、剣術解説といえばぴろ氏!
涙が出ました🥲
西郷隆盛の征韓論には諸説ありますが、大変勉強になりました。ありがとうございます😊
西郷どんで桐野利明は有名ですよね、鹿児島の偉人の特集は嬉しいです^^
ええい、田中さんはまだか!?w
・・・半次郎解説、本当に面白かったです。
日本陸軍初の少将「桐野利秋」西郷隆盛に最後までついていく義理堅い男の中の漢!
最高ですね!
西郷さんの人が良かったのもあったんでしょう。時に冷静で、時に温厚で人を温めたとされたあの性格が。いとこの大山巌もそんな感じだったそうなので。
じゃなかったらあの桐野利秋が惚れ込んであそこまで忠義を尽くす理由がわからないですし。今風に言うと良い奴ではあったんでしょう!
@@user-oo9vg2vk3qおっしゃる通りもちろん西郷の魅力が大前提でしょうね!でもそれに答える桐野の人物像もとても魅力的です!
明治維新のその後の政府や軍の中に
西郷、大久保、桐野、等が生きて残っていたら日本は…そんな想像をするだけでワクワクしますね。
土方歳三と同じような考えを持っていたのかも
知れない方なんですよね。
新選組は、土方あればこそ。
西郷さんも、桐野あればこそだったかもしれない。
そして共に「もう武士は要らないか」と思っていたのかも。
この時代において、武士が要らなくなったというのは納得です。
明治政府によって徴兵制度が作られましたからね。
ただ、この制度の元を辿れば、奇兵隊や新選組と言った身分関係無く、誰でも数年程の訓練を積めば、刀や近代武器・兵器を手に、ある程度実戦で活躍できるというデータがあったからでしょうね。
西郷は少し違うと思う
土方は元々商家の出身で士分ではないので、武士はいらないとは思わず、逆に武士より武士らしくこだわったんじゃないでしょうか。
流れが分かった
有り難う御座いました😃
田中新兵衛期待してます
資料少なそうだけど
幕末四大人斬り好きです
コンプリートして下さい
鹿児島出身だから紹介してもらって嬉しい
征韓論をやって欲しいです
西郷隆盛は征韓論を唱えておらず遣韓論者だったという話もあるので
半次郎かっこよすぎる。。。。
😍😍😍👍最後が一番かっこいい
半次郎
映画見たけど凄かったなぁ。
戦闘民族薩摩隼人って感じで。
ピロくん、みなもと太郎先生の「風雲児たち」の書籍紹介して~
小示現流初めて聞いた、色んな分派があるんですね
半次郎ただ強いだけではなく、凄い人間的な魅力が凄い✨✨
だれかが言ってましたが、最強の技は、自分を殺しに来た敵を仲間にしてしまう事だ…
正にそんな感じですね✨
ちょっと、弥助と近いような…ある意味で遠いような…
西郷さんの右腕か~そら凄いわ
兵隊や下士官の気持ちが解る(例え敵対してもそれは、変わらない)兵隊の鏡だな…
明治政府に残るなり……隊を抜けるなり道はあってもそっちはえらばなかったんだな…
西南戦争では、西郷方を一番追い詰めたのは、会津武士の生き残り等を中心とした元武士団だったとか…(徴兵された兵隊では、太刀打(立って撃つとも)出来ず…銃撃戦でも、徴兵組は、ただ物陰に隠れて明後日の方向に銃を撃つだけだったとか…)
幕末ってのは、侍達で始まって侍達で終わったんですね
あ、流派はともかく、
示現流、小示現流、薬丸示現流は途中で辞めてしまい、殆ど独学で学んだとか、
家の近くの山伏?みたいなのから鍛えられたという説もあります。
@@user-tq6gx2gf4l なんか義経みたいですね
取り敢えず示現流なんですね。
考え方何かも、学んだりしたんでしょうか?
@@This.is.SP.Kuma.
小示現流とか古示現流とか、他にもいろんな流派名の分派があったようですが、ほとんどが流派名が違うだけで技法内容は本家の示現流とかわりなかったようですね。
分派のうち明らかに技法が異なったのは、野太刀自顕流(薬丸派自顕流)くらいじゃないでしょうか。
中村半次郎本当にかっこいいね
西郷の首を切らせて自害するんじゃなくて、戦って、もうダメと思ったら死ぬって男だなぁ
生き様も言葉もかっこいい
きたーーーーーー(^^)
幕末志士でイチバン好き✨
田中新兵衛もよろしくお願いします🙏
こーゆー解説を聞いてると、このような剣豪って誰が1番強いのか知りたくなるよなぁって…()
この人に限らず芹沢鴨も岡田以蔵もそれなりの教育を受けています、決して剣技だけの人達ではないです。特に芹沢は水戸藩にいた頃の辞世の句が残っていたりする結構は教養人でもあったみたいです。
芹沢鴨が粗暴だったのは、梅毒が脳に回っていたとも、どうしようもない酒乱が原因だったとも言われますね。
以蔵は幼少期より漢学を学んでいたとか。
東北の歴史もお願いします!
ぴろすけさんの回は毎回見ています。
面白い(^^)
お~い!竜馬ではえらい描かれようでしたねw
イメージが違いすぎて定着しませんw
幕末でも特に好きな人物なので紹介して貰えて嬉しいです!
中村半次郎の人柄が現れるエピソードとして
·京都の街を焼いた禁門の変の後、半次郎は毎日のように懐に握り飯を忍ばせて出掛けては家を失って飢えに苦しむ被災者に握り飯を分け与えていた
·会津藩降伏の際、若松城明渡しの作法や処理を完璧にこなして、どこで作法を学んだのか尋ねられると、「江戸の寄席で聞いた(忠臣蔵の赤穂城明渡しの)講談を覚えてたから参考にした」と答えた
っていう彼が剣だけではない、人情と侠気に厚い人物と分かるエピソードが好きですね。特に二つ目は邪推ですが、薩摩(西郷)や会津の恥にならないように必死に勉強したのを隠す彼なりのユーモアと謙遜だったんじゃないかなと思ってます
薩摩地元民ですが、半次郎は、西郷先生に、智勇兼備で一人で物事に当たらせても大丈夫な人間に育てられた印象です
確か、相手とすれ違い様に切捨てられる腕前だったとか。
歩きながら斬り捨てて、その際歩調が変わらなかったとか。
西郷どんの半次郎は辛かったな
めちゃくちゃ泣いた
旧友に呼ばれてヘッドショットだっけ
華々しく散った最期は見事である。
これ以上ない花道を与えた西南戦争とは
多くの武人たちにとっての幸いだったのかも知れない。
陸軍少将 桐野利秋 好きです🙂
村田新八や、西郷さんを介錯した別府新助も。
歴史に「もし」はないし本人も西郷軍の一人として死ぬつもりだったでしょうから「もし」もないでしょうが。
もし生きていたらより良い日本を作る礎になっていたのだろうな、とそんな妄想をせずにはいられませんでした。貴重な解説ありがとうございますm(_ _)m
後に陸軍少将の職務として、有事の際に海軍陸戦隊の指揮をとり、共同で攻め込む役割が与えられてますので、彼が生きていたらいつどんな時も果敢に攻め込んでいたでしょう。豪気過ぎるのは少々考えものですが…
そういえば「半次郎」って映画があったな〜
近藤さん、結構色んな人にビビってる(笑)
酒飲まなかったってのが、じゃりん子チエのテツみたいで好き
京都では、茶店で団子や饅頭をよく食べていたとか。
ぜひ次回は島津義弘を!
ピロさんの日本史考察、とてもためになり毎回楽しみにしています。
ただ、最初から最後まで同じテンションだと視聴側は中弛みしがちかも。
⑤の中村半次郎(主人公)の暗殺活動部分(物語の主軸)にフィーチャーして熱を込めて解説してくださると食いつきやすいと思います!
赤松小三郎先生の解説もお願いします!
桐野敏明は確かに優秀な軍人でしたね、最終的に西郷隆盛と運命を共にしたのは残念です。
弟の西郷従道のように新政府で軍人、政治家として生きる道もありましたから。
本人もどちらにつくかかなり悩んだらしいですからね。
ところで当時の日本にも伝統に基づいた国の在り方(不文憲法)はあったと思います。
当時の最強国イギリスには現在も成文憲法はありません。
いまだに800年前のマグナカルタが現行法でもある国です。
半次郎って間違いなく貧乏(西郷・大久保とかもだが)だけど、一応は城下士だから「薩摩藩基準」でいえば他藩でいう「上士層」なんだよなぁ…。
城下士>郷士>私領士>飛地私領士。
膨大な数を擁した薩摩の武士階級は闇が深い。
1ヶ月前の動画に書くのもなんですが、維新の先駆けと言われた天誅組の総裁である吉村虎太郎(寅太郎)について紹介していただきたいです。私の地元の偉人として幼い頃から教えられてきた吉村虎太郎をぴろすけさんの分かりやすい解説でお聞きしたいです。
示現流も色々な流派があるんだ。
小示現流は名前が違うだけで、技法は示現流とかわりなかったと言われます。
示現流から分派した流派で技法が明らかに異なるのは、野太刀自顕流(薬丸派自顕流)くらいでしょうか。
@@user-ck3gp6ho4i なるほ。示現流。現代の剣道は頭の上に竹刀おく感じですけど。示現流は、右肩の上に刀を構えますよね。調べてみます( ´ ▽ ` )ありがとうございます。
@青目ねこ
一対一よりも多対多や一対多でを想定した実用剣術らしい構えですね。
迅速に敵数を減らす、たい(体)狙いの太刀筋。
一対一で言うなら、打ち合いで身を守ったり、小手を狙うよりも上腕、胴など芯の近くへと斬り込む構えですね。
@@user-sp1jv4fq2j ヒ株式会社。いつかやる?さんの話し面白いですよね( ´ ▽ ` )
九州の示現流。は。医師として継承してやってる女の子います( ´ ▽ ` )半端ないですd( ̄  ̄)
感動しました🥺
二・二六事件も出来ればやって欲しいです!
絶対わかりやすい
薩摩武士は軒並み貧しかったけれど、半次郎は父親が禄を召し上げられてどうにもならなくなり、吉野の台地を開梱して芋を育てて食いつないでいたと。西郷に世話になったことがあって、お礼に唐芋を3本持っていったと。ほぼ、そこらの百姓よりも貧しかったと思う。鳥羽伏見以降、なぜあんなに出世したのか不思議なくらいだけど、人としての魅力や愛嬌、明るさ、リーダーシップといったものが備わっていたらしい。私の先祖も薩摩の辺境で郷士だか百姓だかわからない、貧しい侍だったらしい。
この方たちが生きてて、政府に中枢にいたら全然違う日本になってたのかなぁ。。と想像しちゃいますね!
俺は幕末最強の剣客は、中村半次郎だと確信しています。
五畿七道で最強よりも、「あの薩摩」で最強とでは、地球人とサイヤ人並みにレベルが違いますからw
中村半次郎と出会ったら、彼の機嫌の良い事を願い、目を合わすなとも言われていたそうですからw
黒原勘兵衛と戦ったらどちらが強かったんでしょうね
時代は違いますけど想像するだけでもワクワクしますね♪
んなわけないやろ。強い奴いくらでもいたんやで。技で言ったら仏生寺やし位でいったら山岡鉄太郎やろ
分かりやすくて、面白かった!
ちぇーすと!は彼から学びました(笑)
西郷どんも
渋沢さんも
偉い人に気に入られてる
現代でそんなことあるんかねー
日本の部活動で暴力事件が起こるのと、人斬りは基本が同じ。
要するに話が通じないから暴力を振るうわけである。
戦時中の捕虜収容所で暴力事件が起こるのは日本兵を収容している施設だけである。